どっさり充電プラクティス

せめてお名前だけでも……

 

そう言われて初めて気づいた。

 

"名前"

 

今まで考えたこともなかった。ここでの意味に照らして言えば、呼び名、だろうか。この刀は”刀”でしかないし、この空は”空”でしかなく、この自分は”人間”でしかない。複数の人間と関わることのない人生だったから、とりわけ呼び名が必要な場面もなかったのだ。

 

名前か。この機会に、適当に、と言ってもある程度は俺の中の審査委員会が慎重に検討するわけだが、自分の名前というものを決めてみようか。自分で決めてしまえるのだから、何を名乗ってもいいわけだ。過去には素晴らしい侍がいたという。その名前を、落語よろしく(勝手に)襲名してしまおうか。

 

あるいは、こうなりたいと思う姿を、それを表す言葉そのものを名前にしてしまおうか。そうすれば、自分の名前を思い出すときに自分の信念を思い出せるし、自分の信念を思い出すときに自分の名前を思い出せるではないか。

 

たとえば強く、たとえば逞しく、たとえば美しく、たとえば荘厳に、たとえば折れず、たとえばそこに立つ、たとえば冷徹に、たとえば正義を草鞋として歩く。

 

ダメだ、少し許されればそれに付け込んで欲の穴を深く掘ってしまう。こんなにたくさんの欲など、一度に”名前”にできるわけがない。せめて一つに絞るか、しかし全てを包含した言葉さえあれば。

 

……そうだ

 

決めた、俺は、今日から

 

俺は今日からこう名乗る。

 

ビスケット混雑テクノロジー饅頭キボンヌ美(びすけっとこんざつてくのろじーまんじゅうきぼんぬび)